警交仕規導入以前のメーカプレート一覧

警交仕規導入以前のメーカプレート一覧
導入以前
メーカ 
京三製作所・小糸工業・日本信号・松下通信工業
画像協力
飯田氏 越後屋氏
ゴエモン氏


40

車 両 用 & 制 御 機
昭和42年3月製造
  昭和46年以前は明記が小糸製作所で年号も昭和で印字されています。
マークも三角デザインになっています。
昭和42年4月製造
  まだこの世代の信号が現役で動いているのは東京ぐらいですね。
昭和46年9月製造
  昭和46年製の制御機がまだ稼動していました。電子交通信号機という名称が古さを感じさせます。
昭和46年9月製造
  こんな古い制御機が、現役で動いていることが大変貴重です。

  この制御プレートは昭和47年頃ではないでしょうか?
日本信号の初の丸形灯器が設置されだした頃だと思います。

 かなり古いプレートを発見しました。製造年月日が昭和39年8月と東京オリンピック開催に設置されたようです。
昭和47年3月製造
  昭和40年代の古い車両用灯器を使っている東京でも、ボタン箱は新しい物に更新しているようです。

  昭和46年製造です。この時期にはすでに日本信号社のマークがついていたようです。
昭和43年9月製造
  こんなに古い灯器が、まだありました。レンズを拡大すると円状につぶがあります。
昭和48年12月製造
  昭和48年から、名称が変わりました。 形は、先代とまったく同じで、プレートを見ないと区別が付きません。
昭和49年10月製造
  昭和49年12月までは、灯器に警交仕規番号がありません。
昭和47年1月製造
  名称が上記と同様に三位交通信號機になっています。
東京都には、まだこのタイプの信号灯器が至るところにあります。
昭和47年11月製造
  名称が西暦になっています。この時期からは、丸型が登場しています。

  交通信号灯と明記してあるところが、古さを感じます。

歩 行 者 
 
 ゴエモンさんの情報を元に調査。
昭和41年製の灯器が現役というのにも驚きますが、それよりも筐体のさびやレンズ焼け等もほとんどなく、 大変きれいでびっくりしました。
昭和41年10月製造
  この時期から歩行者用灯器があったとは驚きです。
昭和45年5月製造
  昔はこんなに黄ばんだ色のプレートではなかったのですが・・

昭和49年まで左タイプ、昭和50年から右タイプになりました。
昭和46年8月製造
  陸運電機もかなり前から灯器を製造していたようです。
昭和47年11月製造
  先代とプレートが変わり、黒地ベースになりました。
昭和47年11月製造
  この時代は車両用と歩行者用の区別がなく、 すべて交通信号灯器という名称になっていました。
昭和47年10月製造
  形式が人形の文字になっていません。
昭和49年11月製造
  この頃の京三製歩行者用灯器は、扉止めが1つでした。
昭和49年10月製造
  昭和49年12月まで、灯器の表にkoitoロゴがありました。
昭和49年3月製造
  年期の為に、赤ランプはほとんどが溶けています。



50


  初代丸形灯器も、警交仕規番号がありませんでした。
昭和50年11月製造
  昭和50年1月から、灯器表のkoitoロゴがなくなり、灯器接続部分の器具が変わりました。
昭和51年3月製造
  名称に、交通が入りました。ロゴは、まだあります。
昭和54年9月製造
  実際は樹脂製ですが、金属と樹脂の明記分けがまだなかったため、プレートからは、判別できません。
昭和52年10月製造
  まだ警交仕規番号明記がありません。
昭和53年3月製造
  昭和53年から警交仕規が明記されるようになりました。